【トーマSS】花
【ユリスモールを見送った後のオスカーとエーリクの小話です】
ただひとつの年を重ねたとて、そこに一切の価値はないと、ル・べべは言った。
「きみはまだ14だよ」
「だからだよ、オスカー」
「まだ14なのだから、これから年を重ねなけりゃ」
「まだ14なのだから、一気に年を取りたいの!」
草の上に寝そべったままで、ぼくらは互いに拮抗しあう。そんなことは不可能だよと、エーリクに言ってやることは簡単だ。ぼくらに与えられた時間の最小単位は共通なのだ、その微細な粒を注視するのか、あるいは粗末に扱うのかは個人の意識に拠るものだが、しかしどうあってもそれらを見送りながら生きてゆかなければならないんだよ、と空々しく論ずることは、ぼくにだってできる。
「ーー花が咲くのと同じくらいの早さで、ぼくも大人になってしまえたら良いのに」
「咲くのが早けりゃ散るのも早いってもんだよ、ル・べべ。だけどきみ、いなくなってしまいたいわけじゃないんだろう?」
「そうではない、けれど」
「けれど?」
エーリクはぼくの傍ら、まるで最期の瞬間を思うかのように瞼を閉ざす。それでいて彼の口の端は、あまりに物々しく現実のぼくを突き刺すのだ。
「ぼくがここへとやってくるまでの年月は、あんまりにも長かったの。仔犬が死んで、マリエの元へ何人もの男が来て、やがてぼくはマリエと別れて……、そんな時間はほんとうに長かった。ーーそれだのにこの学校に入ってからは、時の流れがあっという間だったんだ。大勢の連中に会って、マリエが死んだというのを聞いて、それからも色々のことがあった。……そうしたら」
「そうしたら、どうしたんだい?」
「……ぼくね、オスカー」
ーーぼくの記憶は、臆病になってしまったのかしら。
エーリクは神妙な顔をして、確かにそう告げてきたのだ。
「記憶が臆病、って?」
「ぼくが自分の家で過ごした年月に、学校で過ごした日々を付け足したら、そのすべてがひとつにつながって、そして一気に縮こまってしまったような気がするんだ。あんなに長く一緒にいたマリエとの時間が、ほんの一瞬のことだったように思えてくるの。まるでぼくが当時のことを思い出すのを怖がっているみたいに」
「……ああ、それは正常なことさね。思い出ってもんは、いつまでもその大きさのままではいられないんだ。だからきみには内緒で、勝手に小さくなってしまうんだよ」
「そうなの……?」
「きみが大きくなるたびにね」
「ぼくが大きくなって、この学校で様々な事柄を経験したから?」
「そのとおり」
不公平だ、と、大きな赤ん坊は鼻白む。
ーーぼくは成長をしたようでいて、まるでそうなっていないじゃないか。それならば、ぼくはやっぱり、花のように一度に咲いて、さっさと散ってしまえたほうが良い。そのほうが、記憶を失う悲しみがないから。ーー
ル・べべはそのようにわめいたあと、草の上で寝返りを打ち、ぼくに背を向けてしまった。
「エーリク」
「……」
「ねぇ、エーリク。花、ということばを聞くとね、ぼくはあの友人を思い出すよ」
「……オスカー」
「きみまでぼくを置いてゆくつもりなのかい、エーリク?」
華奢な白い指が、ぼくの耳のそばの草をかきむしる。
「……それってユーリのこと?」
「……久々に彼の話になってしまったね」
「オスカー、ユーリは」
危うく赤い切り込みが入りそうになったエーリクの指はそのとき、彼自身の瞼にそっと覆いかぶさっていた。
「ユーリはひとりで苦しんでいるあいだ、ぼくよりずっと長い時間を過ごしていたのかしら?」
「……かもしれないね」
「オスカーは? オスカーがユーリを見てつらかった時間、それはとても長かった? それとも昔、お父さんといたころのほうが?」
「さあ、どうだろう」
エーリクの問いに、ほんとうなら感情の丈を返したほうがよいのだろう。しかしぼくにとってのそれは、父やユーリへの郷愁を口にするという行為にはつながらない。
ーー思い返せば、ぼくの人生における一切の時間に、気だるく間延びした瞬間など存在しなかった。
そうと感じられるこの心根こそが、いまのぼくの救いであり、エーリクやぼく自身に対する真摯な回答なのだ。
「……ユーリに同じように訊いても、きみみたいにはぐらかすかしら」
「うん、たぶんね」
「もしはぐらかされ続けるのなら、ぼくは死ぬまで考え続けるよ。きみのことも、ユーリのことも」
「……きみのその時間は、きっと途方もなく長いね」
傍らの身体に指を伸ばし、固く閉ざされた瞼をなぞる。
この目の下で広がる花に、いつまでもぼくを閉じ込めていてね。
ーーあの南国の香りのする友人と共に。
この中庭に、香りの強い花はない。
ぼくらの下に広がるのは、緩慢な緑色だけだ。