隠り恋ふ

少女漫画や舞台のレポ、SSなど。

【はみSS】転ばぬ先のジゴク


 突然やってきた雨雲にうらみつらみをおぼえるヒマもなく、ボクらはあわてて屋根の下へと逃げこんだ。

 だれがどう見たって幼いボクらは、放浪の身。この中のだれかひとりでも濡れねずみになって風邪をひいたりでもすりゃ、その後の旅路がめんどうになるってもんだ。


「……ひっく……」

「もう泣くなよマックス。おまえ、ちっとも濡れてないじゃんか」

「サーニンの言う通りだよマックス。ここでジッとしていれば、冷たい雨はかからない。もうだいじょうぶなんだよ」


 病人が出ようが出まいが、お天道様のささいなご機嫌によって、いちばんチビのマックスの情緒がころころ変わるのはこの旅の常だ。年少なのだからしかたがないし、グレアムもサーニンも面倒見がよいから、だまってさえいればうまくまとまる場だというのはわかってる。だけどぼくはあいにく、このふたりとちがって意地がわるいから、ついこんなことを言ってしまう。


「それにしてもサ。さっきまであんなにカンカン照りだったのに、急に雨が降るとは幸先がわるいね! こいつはなにかよくないことが起こる予感サ!」

「ひっぐ、雨よりももっとこわいものがやってくるの……?」

「マックスをおどかすのはやめろってば」

「だってボクらは明日の安全さえ知れない身なんだぜ! 一寸先は闇ってね! アハン!」

「グレアム! ボクこわい!」

「アンジー!」


 おびえにおびえてグレアムの黒いそでにしがみつくマックスと、その広いおでこを優しくなでてやるグレアムと、ぼくをにらみつけたまた牙をむいているサーニン。

 非常事態のように見えるけれど、ボクらにはこれがふつうなのだ。なんのふしぎもない日常。

 その感触をつかみたくて、ボクはこうしてみんなをひっかき回す発言をしてしまうのかもしれない。


「テメーがわりィんだぞ、アンジー! ボクだってマックスの不安わかるもん。雨が降るとさむくてくらいし、お空の鳥さんも羽が濡れてしまってかわいそうだ」

「そうだねサーニン。鳥さんはああやってがんばっているけれど、ぼくらはあのようにはいかないしね。いまは体を濡らさず、少しでも体力を温存しておいたほうがいい。雨雲が行ってしまうまでここで待とう」

「ちぇっ、昨日の街でカサを買っておけばよかったねえグレアム。そうしたら今ごろは新しい街に……」

「しょうがねえだろサーニン。買わなかったもんはいまここにはねえんだから……あ」

「どうしたんだいアンジー?」


 うっそうと降りしきる水の線を前にして、ボクの思考はどんどん薄暗い方へと転がってゆく。


「これが、『転ばぬ先の傘』ってやつだろ」

「それを言うなら杖だよ」

「まあまあ、そうだけどよ。ボクらがいま見てんのは、『転ばぬ先のジゴク』だ」

「? なんだいそれは?」


 三人のまるい瞳が、ボクの方を向いている。

 ーーああ。

 仲間がいるのって、仲間がボクを見つめるのって、仲間がボクの言葉を期待するのって。

 やっぱりスゴく嬉しくて、幸せなことだ。


「ねえグレアム。今日の場合、堕ちる可能性のあったジゴクーーつまり、いちばん簡単に想像できる『最悪のパターン』ってなんだったと思う?」

「……えーと、四人全員が雨に濡れてしまう、ということかな? 地獄と言うには大げさだけど」

「ご名答! つまりボクらは、そういう地獄の寒さを味わずにすんだわけ。地獄の一歩手前に留まることができたんだよ」

「それがどーしたってんだよアンジー」

「まあ聞けよ、かわいい野生児め。要するにボクらは、ホントの地獄に堕ちないまでも、それに近い経験をふつうの子どもより多く味わってる。こんなにジゴク慣れしてるボクたちなら、ホントの地獄に行ったって衝撃が少ないかも知れないぜ。つまり、ボクらの旅の経験は『転ばぬ先のジゴク』ってわけ!」

「……なるほどね、アンジー。でもぼくは、ホントの地獄ってそんなに底が浅いわけじゃないと思ってるけど」

「グレアムとアンジー、いったいなんのお話をしてるの? ボクにはむずかしいよ」

「いいや、だいじょうぶだよマックス。じつはとても簡単なことなんだから!」


 そこでグレアムはなぜか清々しい笑みを浮かべ、マックスのちいさな肩に両手を置くと、ボクをちらりと横目で見ながら、こう言った。


「アンジーは、地獄ってやつがとってもとっても恐いんだって! もしかしたら、マックスよりも彼のほうがずっと臆病なのかもしれないよ。だからこんな話をするのさ!」

「……ッ!?」

「へえ、そうなんだねグレアム! アンジーはボクよりこわがりなんだ!」

「アンジーがマックスよりもビビり? なんだよ、なっさけねえなあアンジー!」

「……しらけちまったぜ、グレアム。友人の思考を取りまとめるのに、もっとマシなやりかたはねえのかよ」

「まあいいじゃない。たとえきみが情けないほどの臆病者でも、ぼくらはきみのことを愛してるよアンジー」

「「愛してるよアンジー!」」

「アハッ。ボクだって、そういううっとうしいお前らのことを愛してるよ!」


 ーーじつを言うと、ボクにとっての雨はけっしてジゴクじゃあないんだけど。

 ちっともやみそうもない冷たい雨に、このあたたかい連中と同じくらい心を許しているボクは、たしかに臆病者なのかもしれない。



(Happy Birthday Angie!)