隠り恋ふ

少女漫画や舞台のレポ、SSなど。

【トーマSS】友を捧ぐ


※ユーリが旅立った後です。



「エーリクがあんたら茶会の仲間に金を無心してるって噂は事実なのか? バッカス

「まったく。この学校でおまえさんの耳に入らない話はない、ってのはほんとうなんだなオスカー」


 「ホレ」と差し出された火で、ぼくは自分の煙草に火をつける。その恰幅に似合わずえらく長細い煙を吐き出してゆく友人の姿は、不思議とぼくを愉快な気分にさせてくれる。


「あの子がオレに金を貸してほしいと言ってきたのは一週間前」

「……ははん、あいつ。ぼくが以前『ぼくは1ペニヒだって持ってやしない』と言ったのを覚えていて、だからぼくの元へは来なかったんだな」

「いんや、オスカー。エーリクがおまえさんの金をアテにしないのはもっと他に理由があるね」

「なんだって?」

「しかもそれは、オレやオレの仲間がこころよくエーリクに金を貸した理由に通じている」

「……あんた、知ってるのか? エーリクが金をほしがってる理由を」

「だってそりゃあ、『なぜ金が必要なのか理由を話してくれなけりゃ協力してやれないよ』と言ったら素直に話してくれたからね。ただしその内容はおまえさんには話さないでくれと言われたから、オレは秘密を守るけどね」

「……なぜそんな」

「まあ、おまえさんだって近いうちにその理由を知ることになるさ」


 飄々と空々しい態度を保つバッカスにぼくはいくらかの不満を抱きつつも、この話題はそこで終わりにした。

 なぜならこの時のバッカスは、ぼくを『ユリスモールの番人だ』と言い放ったあの時ほど、暗い目をしていなかったからだ。きっとその裏に、悪いたくらみはないのだろう。


 * * *


 ある週末のこと。ぼくとエーリクはいつものように街へ出かけた。

 毎度恒例のカフェに入るや否や、ぼくは早速その非常事態に気がついた。

 いっとう端のテーブルに、なんとあの茶会のメンバーが勢ぞろいしていたのだ。

 ぼくはあえて気づかないふりをして、店員にうながされるがままに奴らと離れたテーブルに着いた。エーリクは奴らに気づいていただろうか。

 椅子に腰掛け、互いにメニューへと目を落としてからほどなくすると、エーリクが突然立ち上がった。


「オスカー! ぼ、ぼくすこし行くところあるから、これを頼んでおいてくれる?」

「……はあ。別にいいけど、どこへ行くのさ?」

「ないしょ! す、すぐ戻るからね!」


 ーーそののち、賞味15分ほどでエーリクは席へと戻ってきた。ぼくらのテーブルにはもうすでに、手つかずのチェリーパイがふたつ乗っている。


「オ、オ、オスカー!」

「なんだってのさ、急に改まった風情して」

「こ、こ、こ、これをきみに!」

「……?」


 目をぎゅっとつむったエーリクから差し出されたのは、そこそこに大きな茶色の紙箱。

 エーリクがぼくに、贈り物をしてくれるだなんて初めてのことだ。

 ……もしやこれが、上級生たちに金を無心していた理由だとでもいうのだろうか。

 ぼくは差し出された箱をひとまず受け取り、やたらと洒落た包装をゆっくりとほどいてみる。


「……くまのぬいぐるみ……?」

「……うん。それをきみ、オスカーに」


 遠慮がちにちぢこまったままのエーリクがそう呟いた瞬間、店の隅で密やかな笑いが生まれたのを、ぼくは聴いた。


「……ねえ! ル・ベベのやつ、ほんとうにやりやがったよ!」

「まさかあのオスカーにぬいぐるみをプレゼントするなんてねえ。おっかしー」

「どう考えたらあんな真似が思いつくんだろうねえ」


 いちばん大笑いしているのはあの気障なシャールのようだ。……そういえばバッカスによると、エーリクはあの天敵、シャールの元にまで金の件を頼みに行ったらしい。エーリクがそこまでして金を集めた理由が、まさかぼくにぬいぐるみのプレゼントを贈ることだっただなんて。

 なおエーリクは幸いにしていまだ緊張のるつぼにいて、上級生たちの談笑には気づいていないようだった。


「ーーダンケ、エーリク。ぼくのためにありがとう。でもなぜぼくにこんなプレゼントを? それも上級生たちに金を借りたりまでして?」

「〜〜ッ!  なんだオスカー、知ってたの!」

「シュロッターベッツでぼくの耳に入らない話はないって言ったろ。さあ話せよ」

「……オスカー。ぼくはただ、きみを、その友人に会わせたくて」

「友人? ぼくにぬいぐるみと友だちになれってのかい? ……あ」


 ーーその黒いぬいぐるみの存在はたしかに、ぼくのなつかしい友人に違いなかった。


 商品タグに書かれていた言葉は、こうだ。


 "南国の花の香りをイメージした芳香袋入り"。





【ポーSS】春の骨


 春が来たら、骨になりたい。

 いつもよりずっと、甘え縋るような声でそう告げられる。


「冗談はおよし、アラン」

「冗談ってのは、どちらの意味だい? エドガー」

「……どちらの意味、って?」


 同胞の問いかけの意図をつかみあぐねて、エドガーはベッド上でうずくまっているアランをじっと見据える。ここは行きずりの古宿。命の終焉について語らうには、いかにも陳腐でおろかな舞台だ。


「きみがいやがっているのは、ぼくがぼくの命の終わりについて語ること? それとも、ぼくらは骨には変われないのだというのを思い出させること?」

「……なにを云っているの」

「ぼく、わかっているんだよ。ぼくらの身体はきっと残らない。命が尽きるとともにすべてが消えてしまうんだって」

「……アラン」


 ーーもうおよしよ、健気なアラン。

 ぼくもきみも、もとはふつうの人間だった。骨、血、肉、細胞。それらのすべては、ぼくらの生と連動しつつも、魂とはちがう場所に存在している器であった。この意識が途切れたとして、それだけはこの世に置いてゆけるはずだった。

 しかし、いまのぼくらはちがう。

 魂と器が縫いつけられて、離れることができなくなっている。魂の消滅と同時に、この身体も砂のように崩れ、時空の彼方へと流れ消えてしまうのだと、知っている。


「でもきみは、なぜ骨になりたいんだい。そして、それはなぜ春なの?」

「ぼくのからだのなかにあるものが、死の時になってようやく空気にさらされるのって素敵じゃない。ぼくはその骨といっしょに生きていたんだって、そんな証明がそこで成り立つんだ」


 そして、春はなにもかもが生まれる季節だからだよ、とアランは語った。


「……きみが骨で形づくられている証明なら、ここでぼくがしてみせるさ」

「むりだよ、そんなの」

「……できるよ、ほら」


 エドガーはアランが佇むベッドにのりあげると、手首のうすい皮膚を彼の唇へと近づける。


「お飲みよ、アラン。きみはつかれているだけだよ」


 アランの青白い頬が、すこしの逡巡ののちにほころんでしまうと、次の瞬間には新鮮な血液の匂いが薄汚れた部屋にたちこめた。


「……どうだい。ぼくの血が、きみのからだをゆっくりとめぐる。そうしてぼくはこれから、きみの骨と骨を、階段のように駆けてゆくんだよ」

「……きみがぼくの? そんなわけないよ」

「きみがそうだと思えばそうなるんだよ。ぼくらは血を分けた同胞なんだから」


 そうしてこの血がきみの血のせせらぎと交ざりあい、きみの春を待ちわびる心、そのものへと変わるのだ。


「アラン。ぼくらはいつでもおたがいの骨になれるんだ。これからもずっと、ふたりでいればね」


 そうして春に限らず、どんな季節にも、好きなように飛んでゆける。

 きみの身体と魂の共鳴は、そのための癒着なのだから。


 




(タイトルは同作者の別作品からお借りしました)



【はみSS】転ばぬ先のジゴク


 突然やってきた雨雲にうらみつらみをおぼえるヒマもなく、ボクらはあわてて屋根の下へと逃げこんだ。

 だれがどう見たって幼いボクらは、放浪の身。この中のだれかひとりでも濡れねずみになって風邪をひいたりでもすりゃ、その後の旅路がめんどうになるってもんだ。


「……ひっく……」

「もう泣くなよマックス。おまえ、ちっとも濡れてないじゃんか」

「サーニンの言う通りだよマックス。ここでジッとしていれば、冷たい雨はかからない。もうだいじょうぶなんだよ」


 病人が出ようが出まいが、お天道様のささいなご機嫌によって、いちばんチビのマックスの情緒がころころ変わるのはこの旅の常だ。年少なのだからしかたがないし、グレアムもサーニンも面倒見がよいから、だまってさえいればうまくまとまる場だというのはわかってる。だけどぼくはあいにく、このふたりとちがって意地がわるいから、ついこんなことを言ってしまう。


「それにしてもサ。さっきまであんなにカンカン照りだったのに、急に雨が降るとは幸先がわるいね! こいつはなにかよくないことが起こる予感サ!」

「ひっぐ、雨よりももっとこわいものがやってくるの……?」

「マックスをおどかすのはやめろってば」

「だってボクらは明日の安全さえ知れない身なんだぜ! 一寸先は闇ってね! アハン!」

「グレアム! ボクこわい!」

「アンジー!」


 おびえにおびえてグレアムの黒いそでにしがみつくマックスと、その広いおでこを優しくなでてやるグレアムと、ぼくをにらみつけたまた牙をむいているサーニン。

 非常事態のように見えるけれど、ボクらにはこれがふつうなのだ。なんのふしぎもない日常。

 その感触をつかみたくて、ボクはこうしてみんなをひっかき回す発言をしてしまうのかもしれない。


「テメーがわりィんだぞ、アンジー! ボクだってマックスの不安わかるもん。雨が降るとさむくてくらいし、お空の鳥さんも羽が濡れてしまってかわいそうだ」

「そうだねサーニン。鳥さんはああやってがんばっているけれど、ぼくらはあのようにはいかないしね。いまは体を濡らさず、少しでも体力を温存しておいたほうがいい。雨雲が行ってしまうまでここで待とう」

「ちぇっ、昨日の街でカサを買っておけばよかったねえグレアム。そうしたら今ごろは新しい街に……」

「しょうがねえだろサーニン。買わなかったもんはいまここにはねえんだから……あ」

「どうしたんだいアンジー?」


 うっそうと降りしきる水の線を前にして、ボクの思考はどんどん薄暗い方へと転がってゆく。


「これが、『転ばぬ先の傘』ってやつだろ」

「それを言うなら杖だよ」

「まあまあ、そうだけどよ。ボクらがいま見てんのは、『転ばぬ先のジゴク』だ」

「? なんだいそれは?」


 三人のまるい瞳が、ボクの方を向いている。

 ーーああ。

 仲間がいるのって、仲間がボクを見つめるのって、仲間がボクの言葉を期待するのって。

 やっぱりスゴく嬉しくて、幸せなことだ。


「ねえグレアム。今日の場合、堕ちる可能性のあったジゴクーーつまり、いちばん簡単に想像できる『最悪のパターン』ってなんだったと思う?」

「……えーと、四人全員が雨に濡れてしまう、ということかな? 地獄と言うには大げさだけど」

「ご名答! つまりボクらは、そういう地獄の寒さを味わずにすんだわけ。地獄の一歩手前に留まることができたんだよ」

「それがどーしたってんだよアンジー」

「まあ聞けよ、かわいい野生児め。要するにボクらは、ホントの地獄に堕ちないまでも、それに近い経験をふつうの子どもより多く味わってる。こんなにジゴク慣れしてるボクたちなら、ホントの地獄に行ったって衝撃が少ないかも知れないぜ。つまり、ボクらの旅の経験は『転ばぬ先のジゴク』ってわけ!」

「……なるほどね、アンジー。でもぼくは、ホントの地獄ってそんなに底が浅いわけじゃないと思ってるけど」

「グレアムとアンジー、いったいなんのお話をしてるの? ボクにはむずかしいよ」

「いいや、だいじょうぶだよマックス。じつはとても簡単なことなんだから!」


 そこでグレアムはなぜか清々しい笑みを浮かべ、マックスのちいさな肩に両手を置くと、ボクをちらりと横目で見ながら、こう言った。


「アンジーは、地獄ってやつがとってもとっても恐いんだって! もしかしたら、マックスよりも彼のほうがずっと臆病なのかもしれないよ。だからこんな話をするのさ!」

「……ッ!?」

「へえ、そうなんだねグレアム! アンジーはボクよりこわがりなんだ!」

「アンジーがマックスよりもビビり? なんだよ、なっさけねえなあアンジー!」

「……しらけちまったぜ、グレアム。友人の思考を取りまとめるのに、もっとマシなやりかたはねえのかよ」

「まあいいじゃない。たとえきみが情けないほどの臆病者でも、ぼくらはきみのことを愛してるよアンジー」

「「愛してるよアンジー!」」

「アハッ。ボクだって、そういううっとうしいお前らのことを愛してるよ!」


 ーーじつを言うと、ボクにとっての雨はけっしてジゴクじゃあないんだけど。

 ちっともやみそうもない冷たい雨に、このあたたかい連中と同じくらい心を許しているボクは、たしかに臆病者なのかもしれない。



(Happy Birthday Angie!)



【11人SS】山へ行きたい


 【タダトス×フロルで、本編終了後の設定です。】



 次に降り立つ惑星では、山に登りたい。


 そんなことばを聴いたぼくは、おもわずクラリと来て、手元の操縦パネルに突っ伏しそうになってしまった。


「なんだよタダ! そんなにびっくりすることないじゃんか!」

「だってきみ、登山だなんてずいぶん原始的なことだと思ってさ! きみの故郷には山岳信仰の風習があったのかい、フロル?」


 からかうつもりも、否定する気持ちもなかったのだけど。そこまで口にしてしまってから、ぼくは自分の発言を恥じた。せめて、フロルの願いの意図を最後まで聴いてからことばを発すれば良かったと。


 案の定、フロルは眉を寄せて不服そうな顔をしている。こうなったら長い闘いになるということを、 ぼくが一番知っているというのに、なぜこんな顔をさせてしまったのだろう。


「オレの意見が原始的だって!? シツレーなヤツ! 信仰なんかなくたって、きょうびどこの惑星も文明社会ったって、いまでもそびえ立つ山を残したままの星はいくらだってあるだろ? それを夢見てなにが悪い!?」

「ごめんフロル、そういうつもりじゃなかったんだってば。ただ、きみがなぜ突然そんな願望を持ったのかなって。ぼくが感じたのはそれだけさ」

「タダ、ちゃんと前見て操縦しないと危ないぞ」

「……それ、きみが言うセリフかい」


 フロルと共に無数の星の中を航海するようになって、もうずいぶん時が経つ。

 フロルの突飛な思いつきには慣れているつもりだったけど、その思想の核はまだまだヴェールに守れているようで、ぼくがそこへとたどり着くにはもう少し時間がかかりそうだ。


「なあ、タダ」

「なに? フロル」

「オレはもう、ヘンペイ胸じゃなくなったんだぞ」

「……はい?」


 話題が飛躍しすぎていて、さすがのぼくでも返答に詰まってしまう。


「……だから、オレの身体が女性に変化したってこと、タダもよく知ってるだろ」

「……うん」


 やがて来る日だとわかっていた。ぼくもフロルも、あの白号での試験に合格したその日から、その"変化"が起こる日を夢に見ていた。

 実際、女性に変化したあとのフロルは、恥じらいながらもぼくにこう伝えてくれたのだ。

 「幸福だ」、と。


 そのことばを、ぼくはうたがったりしない。

 ただひとつだけ気がかりなのは、女性になってからのフロルは、以前より"回帰的"な発言がふえたということ。

 山に登りたいという原始的な考えも、やはりこの変化に結びついているのだろうか?


「……オレはね、タダ。新しくなったこの身体で、たくさん歩きたい。タダと過ごす宇宙も大好きだけど、たまにはこの足で大地を踏みしめたい。そうして、もしかなうことなら、下から見上げたときに腰が抜けるほど高いような山を、ふもとからてっぺんまで、新しいこの足で登ってみたいと思ってるんだ

「ーーフロル」

「ま、それってオレなりの"ミソギ"みたいなもんだよ! オレ、まだ心まではおとなしい女の子になれないから、こんな体育会系の手段になっちゃうけどな!」

「……ううん、すばらしいと思うよ。さっきはおどろいたりして悪かった」


 ーーああ。

 ぼくも原始に帰らなくては。

 山より高い、"彼女"のこころざしを受け止めるために。


「きみが山に登るときは、もちろんぼくもつきあうよ」

「ホント? タダ!」

「ああ。たまには宇宙とはちがう刺激も味わっておかないとね」


 なんたってぼくは、"死ぬまで男"っていう退屈な人生だからね。

 きみとはちがうベクトルで、きみとおなじように、この原始的な身体が大切なんだ。




【はみSS】カコの中、カコイの中



 家具とねぐら、それから、鳥さんとレディ・ローズ。

 それらを失くしたぼくらは、新たな日々を目指して出立した。


 そしてぼくらはもうだれも、鳥さんとレディ・ローズの事を口にはしなくなった。ぼくら四人、全員の胸のうちで真新しく共有されながらも、けっしてぼくらの間で溶け出すことのなくなった記憶。いつか見たあの七面鳥のように、氷づけになってしまったような記憶。

 ある日、その氷塊を溶かす熱源となったのは、アンジーの言葉だった。


「ねぇ、グレアム。人間の記憶ってのも、まるで動物園みたいだと思わない?」


 ーー動物園。それはマックスが、人が大勢住むアパートのことを形容したのと同じ言葉。この世は人間の動物園と、人間のジャングルみたいたって。ぼくらの胸のうちにある記憶たちもまた、そんな風なのだとアンジーは言う。得体の知れない見世物たちは、よそよそしくて、そらぞらしくて、おそろしくて。でもそこにはたしかに、血肉というものが存在している。


 いつだか、雨で体の火照りを冷ますことが好きだ、と言ったクールなアンジーは、思いのほかぼくよりも熱っぽい発想をすることがある。記憶を氷にたとえたぼくなどより、ずっと。


「それじゃあアンジー、たとえばレディ・ローズなんかも、きみの記憶の檻の中にいるの?」

「……レディ・ローズは檻の中になんかいないよ」


 それは、先ほど聴いたアンジーの思想と矛盾した言葉。


「だってグレアム。ボクたちが檻の中にいるヤツに拾われてたんだとしたら、ボクたちは一体なんなのサ?」

「ああ、うんとみじめだね」

「そうだろ?」


 ぼくたちに『人間の動物園』というものを思わしめたのは、レディ・ローズという人物に拾われたことがキッカケだ。なのにどうして、そのアパートの住人であった彼女は、その檻に似つかわしくないのだろう。他人に見られることにおびえていたレディ・ローズ。強気な見た目によらず、ぼくにそれを正直に打ち明けてくれた、優しい女性。


 彼女を檻の中の動物にしたくないのなら、なぜアンジーは、ぼくに『記憶の動物園』などという言葉を投げたのだろう。


 ーーその答えは、きっとカンタン。


 意外にもアンジーは、ぼくたちの中でいちばん、レディ・ローズの優しさを忘れたくなかったのじゃないだろうか。

 ぼくに胸のうちを見せてくれたアンジーは、そこに並ぶ檻たちを見せたかったんじゃない。

 なにかを檻から解放するそのさまを、ぼくに見せてくれたんじゃないかって。


「……そう言ってきみは、レディ・ローズのことを檻で囲いたくないだけなんだろう。優しいね、アンジー」

「……ボクが優しいんじゃないよ。レディ・ローズがボクらに優しかった。……それだけのことサ」


 ぼくがもし動物園の中の存在だったら。きっとだれの見世物になろうとも泳ぎ続けてしまう、水棲生物になるのだろう。

 ぼくもアンジーとおなじで、冷たい水がわりと好きな生き物だから。

 




【風木SS】荊の輪


※風木、セルジュとジルベールのifです。
※原作の結末のネタバレあり。




 花弁たちが輪状に寄り添い、きみの目の上で綻んでいる。それらは根を失いながらも、静かなきみのかんばせを引き立てる為に呼吸をしていた。

「きれいだよ、ジルベール。とても似合ってる」

 きみが纏う色彩は、ぼくの記憶の奥底で"花"だと印象づいている花の造形、そのものだった。ぼくの両親が愛したこの村で、つい今しがた摘み取った命。

「この土地の香りは心地良いね」
「……うん」

 ジルベールは素直に頷いたのち、恥じらいをやり過ごすかのように目を逸らし、広い地を見つめてフッと笑う。純然とした思いを抱いている時こそ、ジルベールはこうして少し渇いた仕草をするのだ。そうしてこんな風にぼくの目を見ようともしないきみが、ぼくは好きだ。

 しかしぼくらはもう、あまりにも永すぎる時をこの野原で過ごしている。
 けっして陽の翳らないぼくらの土地、ぼくらの時間。
 ぼくはそれらに、別れを告げなければならない。

「……ジルベール
「……なに、セルジュ」
「このかざりは、きみにとって窮屈かい」

 嫋やかに顔を上げたジルベールの頬を捉え、きみをひときわ香り立てている、その花冠に触れる。華やかな命が巻きつく軸は、ひどく鋭利な感触がした。

「……ああ、少しね」
「……そう」

 ぼくはジルベールにふたたび向き直る。そうしてきみの荊の冠を、ゆっくりと持ち上げる。
 きみの身体を、ぼくが仕立て上げたきみの姿から解放しよう。
 きみはもう、ぼくの隣にいない。
 きみはもう羽ばたいてしまったのだから。

 薄いまぶたが降り、その頬や唇から、明媚な色が消えてゆく。
 きみとぼくを包んでいたはずのチロルの情景も、風に攫われ白んで行った。

 亡き者の復活を望むぼくは、もういない。
 その荊の輪をぼくへと引き渡したきみは、この目の上にたたずむ、大輪の花となったのだ。


【トーマSS】光射す隙


 白肌の下に流れる情熱の血を、そのまま映し取ったかのような黒い髪。

 それと同様の輝きをたたえるは、我らがシュロッターベッツの制服だ。


 豊かな見目のユリスモールが生徒たちの小わきを通り過ぎれば、たちまち熱のこもった視線がひしめき合い、荘厳な聖堂を満たしてゆく。

 未発達な身を包む漆黒は、ここにいる誰にとっても等しい色であるはずなのに。

 大多数の生徒が一様に、"彼の持つ『色』は異種なのだ"と、胸を高鳴らせているのがわかる。

 それは純朴な情景であったり、俗っぽい感情であったり、様々だけれど。


「……ほんとうに、よく持つな」


 聖堂での定例ミサにおいて、ユーリは今日も、渇ききった語調で福音書の朗読を終えた。



   * * * *



 いつものように寝そべる中庭。

 このぼやけた若草色がどこまでも続いてゆけば良いのに、ふと視界の端にひらめいた暗色によって、ぼくの希望は裏切られる。


「オスカー!」

「……なんだ、アンテ・ローエか。ぼくの休息をじゃまするなといつも……」

「眠たいのなら、日曜の午前中なんて部屋で過ごせばいいじゃない。ぼく知ってるよ、きみがユリスモールの朗読を聴くために、最近わざわざミサに来ているってこと!」


 ユリスモール、ユリスモールと、

 この下級生の苛烈な声は、最近やけにその名を繰り返す。


「そりゃアンテ、ぼくにだって至極まじめな生徒でありたいという気分がめぐってくることがあるんだぜ。ユーリのためだなんて誰が言った?」

「だけどきみ、きみの視線はいつもーー!」

「友人を視界に入れて、なにがいけない?」

「……オスカー、なぜぼくのきもちに」

「お前の気分がどうしたって?」

「……っ、もういいよ」


 その小柄な下級生は、くるりとぼくに背を向け、後手に指を組みながら身体を揺らしているが、この場を立ち去る気配はない。


「……オスカー、きみ、よく持つね」

「……なんの話?」

「……だってユリスモールの……、いや、なんでもない」


 ーーそういうお前もよく持つと思うよ、アンテ。


 華奢な肉体に不釣り合いな、漆黒の制服。

 きみのその枠組みはまだ、きみを守ってくれるのだからよいのだけれど。


 だけど、ユーリはそうじゃない。

 彼はもう、彼が抱いている暗闇と、彼を包む濃色を、自身で混同してしまっているのだ。

 シュロッターベッツの優等生、ユリスモール。

 あの美しい髪から足の先までが、誰から見ても、彼自身においても、完全なるユリスモールなのだった。


 ーーそんな彼にもどうか、

 光の射し込む隙間を、と。


 黒色から浮き出た亜麻色の巻き髪を見上げながら、そう願わずにはいられない。




※ワンライ/お題:制服